名古屋水俣病を告発する会は、水俣病訴訟を支援するために1970年頃つくられた市民運動グループで、はじめは一株株主運動や映画上映会、署名活動などを行っていた。こうした告発する会は熊本以外に東京、札幌、大阪、神戸をはじめ全国各地に作られており、また大学単位でも作られていた。名古屋では1973年の水俣病第一次訴訟判決と同年7月の補償協定書締結以降は、自分たちの地元でできる活動を行う方針で、愛知、三重、岐阜の東海三県に居住する水俣・芦北出身の患者掘り起こし活動を始め、それが東海地区の患者会の結成につながった。名古屋告発の資料は、活動を引き継いでいる一本木康二氏が保管していた資料、名古屋水俣病を告発する会で患者掘り起こしに携わっていた水俣学研究センターの花田が所蔵していた資料などから構成されている。
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