田中泰雄は、2004年最高裁で勝訴した水俣病関西訴訟の弁護団事務局長を務めた弁護士。本資料は、田中弁護士から水俣病関西訴訟に関わる書面や証拠類を最高裁判決確定後に寄贈を受けたものである。水俣病関西訴訟は、かつて不知火海沿岸地域に居住し、後に関西地方に移り住んだ59名の原告が国・熊本県・チッソを相手取り、1982年に大阪地裁へ提訴した損害賠償請求訴訟。原告らは、1995年水俣病の最終解決策といわれた水俣病総合対策医療事業を拒み、それまで認められてこなかった国・県の被害を拡大した責任を問うた。最高裁判決まで実に22年にもわたる闘いであった。行政責任が認められ、1977年水俣病認定判断基準(52年判断条件)が採用されず、従来よりひろく認定すべきと司法が判断を示した点で画期的な判決であった。
水俣病関西訴訟弁護団は、現在も未解決の水俣病関係訴訟を続けている。
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