祉見てある記53 NPO法人「オリーブの家」  本研究所研究員 萩原 修子 (文化人類学) NPO法人「オリーブの家」(自立準備ホーム) 開設:2014年3月 熊本市西区池田2丁目9番1号 コーポ池田201 理事長 青木 康正 刊行物:月刊「オリーブ:真の更生を目指して」 (2016年6月号〜現在) 1.自立準備ホームとは?  今回ご紹介する「オリーブの家」は、更生保護を支援する「自立準備ホーム」です。刑務所や少年院などの矯正施設を出た人などで、家族や公的機関などから援助を受けられない人を対象に、一時的に宿泊場所や食事を提供し、専門の職員が自立を支援する民間の施設を更生保護施設といい、「自立準備ホーム」はそれと同様の役割を担います。  現在、更生保護施設は、全国で103か所あります(熊本には「熊本自営会」があります)。一方、「自立準備ホーム」は、増大する対象者に対応するための新制度(平成23年4月)に基づいて設置されています。保護観察所によって委託されたNPO法人や社会福祉法人などが、施設や空きベッドを活用し、宿泊場所や食事の提供、生活指導を通して自立を支援するものを指します。  この「オリーブの家」は2014年3月から入室者の受け入れが開始されました。「オリーブの家」は青木康正理事長、奥様で社会福祉士でもある順子さんを含め職員4名、調理担当者1名によって運営されています。以前この欄(2014年)でご紹介した司法と福祉をつなぐ役割を担っている「地域生活定着センター」とも連携して、「オリーブの家」の入所者が決定されます。入所期間は成人の場合で最長6カ月間。開所から4年目を迎えた今、延べ56人の自立支援が行われてきました。 2.「オリーブの家」の誕生とその基盤  なぜ理事長の青木さんが「オリーブの家」を立ち上げたのか。そして、現在に至るまでの並々ならぬご尽力の原動力は何か。それは、クリスチャンとしての強い使命感に他ならないように思えます。実際、青木さんご自身が元受刑者で、刑務所での聖書との出会いこそが「今」の青木さんの歩まれる道を整えたといえるのかもしれません。  はじめて私が青木さんにお目にかかったときには、保護司の赤星裕氏(元熊本東警察署長)が青木理事長は「目が澄んでいる」(月刊「オリーブ」2017年5月号)と書かれた表現そのままの印象でした。青木さんは、聖書との出会いによって、刑務所の中でつながりをもった受刑者たちの社会復帰について強い支援の必要性を感じ、出所後にその方途を模索されていたそうです。そして、その結果が「オリーブの家」として結実したのです。 3.ファミリーと真摯に向き合う  このように青木さんの強い信仰が基盤となって、ファミリー(「オリーブの家」では入所者を「ファミリー」と呼び、退所した方をOBと呼びます)に真剣勝負で向き合う毎日。少年から80代の高齢者まで、入所されるさまざまな方と交換日記を交わされ、真剣に接する姿に入所者にも大きな変化が訪れるそうです。あるファミリーの声をご紹介しましょう。  「私は昨年末、青木理事長と初めてお会いし、オリーブの家に入りました。当初は不安で一杯でしたが、徐々に心が落ち着いたのを思い出します。早2カ月が過ぎました。早朝に起床し、オリーブの家の前の道路を毎日掃除をしています。……ここに来てから、今までの生活、考え方が180度変わりました。少しづつですが本当の自分を取り戻しているような気がしています。昼、夕の食卓で、理事長はじめスタッフの皆さん、ファミリーの方たちと語らう時は、私にとっては家族団らんの場でもあります。もし、青木理事長とオリーブの家に出会っていなかったら、私はひょっとすると前の道に戻っていたかもしれません。私の人生にとって本当に分岐点となったオリーブの家でした。」(「月刊 オリーブ」2017年3月1日号、「ファミリーの声」より) 4.やり直せること、つながり続けること  他にも、畑で取れた野菜を届ける87歳のOB、退所後もオリーブの家の近くに住み、日曜日には礼拝と昼食をともにするOB、昨年の震災の折には、遠く長崎からいち早く2リットルボトルの水100本と食料を、8時間かけて「オリーブの家」に運んでくれたOB。このように、退所後もファミリーとしてつながり続けています。青木さんの言葉で「私のような者がやり直せたのだから、ぜったいやり直せる」。  やり直せること、つながり続けること。「オリーブの家」を訪問すると、福祉と司法を結ぶ上で、どのような信念や実践が社会において必要なのかを、深く考えさせられます。