つれづれ時事寸評18 相模原しょうがい者施設 殺傷事件が問いかけるもの 本研究所研究員 堀 正嗣 (障害学)  「二重の殺人」  2016年7月26日未明に相模原市の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で19人の尊い命が奪われ、26人が重軽傷を負いました。この事件は私たちの社会に大きな衝撃を与えました。この事件の意味を、自らも盲ろう者である福島智東大教授は次のように書いています。  無抵抗の重度障害者を殺すということは二重の意味での「殺人」と考える。一つは、人間の肉体的生命を奪う「生物学的殺人」。もう一つは、人間の尊厳や生存の意味そのものを、優生思想によって否定する「実存的殺人」である。  前者は被害者の肉体を物理的に破壊する殺人だが、後者は被害者にとどまらず、人々の思想・価値観・意識に浸透し、むしばみ、社会に広く波及するという意味で、「人の魂にとってのコンピューターウイルス」のような危険をはらむ「大量殺人」だと思う。(毎日新聞、2016年7月28日)  生物学的殺人に加えて、「しょうがい者に生きる価値はなく、社会のために抹殺されるべきだ」という優生思想による実存的殺人が行われたことが、この事件の恐ろしさです。植松容疑者に賛同し、「良くやった」等の声すらネットには書き込まれています。私たちの社会に優生思想が潜在しており、それがこの事件の影響で広がり顕在化しているのです。 しょうがい者が普通の生活ができる地域社会とサービスを  しょうがい者殺傷事件の背景には、集団生活を送らざるを得ない入所施設では、人権が十全に保障できないことがあります。にもかかわらず施設生活以外に選択肢のない状態にしょうがい者が追いやられている現状があります。  子ども・若者・高齢者、元気な人・病気やしょうがいのある人など、様々な人たちが混ざり合って生活しているのが地域社会の普通の状態です。この点からすると、介助を必要とする重度しょうがい者だけが集団で生活している環境はアブノーマルです。こうした状態だったからこそ、犯人は短時間に多くの人を殺傷することができたのです。もし被害者の人たちが地域で普通の生活をしていたならば、このような事件を引き起こすことは不可能だったでしょう。熊本地震の際には、普段は深い付き合いがなかったにもかかわらず、近隣の人たちが助け出して一緒に避難してくれたというしょうがい者の証言があります。地域にあるそうした助け手からも、犠牲になった人たちは遠ざけられていたのです。  第2に、ゴッフマンが指摘しているように、施設の本質は「隔離と管理」です(Goffman, Irving 1961 Asylums, Doubleday)。またGNP比でOECD平均の半分に過ぎない障害福祉予算のために、施設職員の労働条件は厳しく、入所者の生活環境は満足できるものではありません。そうした中で、元施設職員の容疑者が、「障害者は人間としてでなく、動物として生活しています」、「保護者の疲れ切った表情、職員の生気のかけた瞳」と感じた状態がつくり出されていたのではないでしょうか。  利用者支援のために、誠実かつ懸命に努力されている尊敬すべき施設職員が多くおられることを私は承知しています。しかし一方では、津久井やまゆり園に勤務されていたある職員が園の分会論集に書いておられ次のような状況も見られるのです。  暇さえあればベランダに出てタバコを吸う職員。勤務中に携帯メールのやり取りをする職員。セクハラ発言や利用者に罵倒・罵声を浴びせる職員。利用者のトラブルを見て見ぬふりをしている職員云々。…中略…そうした退廃した職員の姿が利用者に反映しているように思えて仕方がない。(西角純志(2016)「津久井やまゆり園の悲劇」『現代思想』第44巻第19号青土社)  「障害者は不幸をつくることしかできない」と容疑者が感じたのは、こうした現状の反映かもしれません。園の建て替え問題を考える集会で、重度知的障害・自閉症の息子がいる岡部耕典早稲田大教授は、行動援護や身体介護などのサービスを使ってアパートで生活している息子の様子を映像で紹介し、「こうした暮らしもあることを知ってほしい」と訴えています(福祉新聞、2017年6月5日)。しょうがい児者が地域で生き生きと暮らしている様子に接するならば、人びとのしょうがい者への感じ方も変わっていくに違いありません。  優生思想を克服するために、すべてのしょうがい児者があたりまえに生活できる地域社会とそれを支える教育・福祉等のサービスを実現することが不可欠です。 すべての人の生存と尊厳が保障されるインクルーシブな社会へ  日本では6人に1人が貧困状態にあると言われています。非正規労働者が増加し所得格差が広がっています。雨宮処凛さんの『14歳からわかる生活保護』(河出書房、2012)によれば、日本では毎年数十人が餓死しているとのことです。36人(2010年)、58人(2009年)、63人(2008年)、93人(2003年)という数字が上がっています。  人の命よりも、コストを重視する日本社会には根本的な問題があります。雨宮さんはフリーターや派遣労働者、失業者、ニート等のプレカリアート(不安定な労働者)の運動にも参加し、そのデモで若者たちが「生きさせろ」と叫ぶのに衝撃を受けたと言います。生きていくだけの賃金を得られる仕事につくこともできず、生活保護を受けることもできず、いつ餓死するかもしれないと将来に不安を抱えている若者が数多くいるのです。しょうがい者だけでなく、多くの人たちの命が脅かされているのが日本社会の現状です。  このような状況が、しょうがい者殺傷事件のようなヘイトクライムを生む温床になっています。すべての人の生存と尊厳が保障されるインクルーシブな社会をつくる以外に、根本定な問題解決の方法はないと私は考えます。