6〜7ページ わたしの研究 59 テーマ 「生きやすい社会を目指して」 本研究所嘱託研究員 岡本 洋子 (社会福祉援助技術) 自殺対策と社会的要因  近年研究してきた「自死遺族に対する二次被害」は、大学院の公衆衛生学において自殺の社会的要因を研究したことに始まります。さて、ここで「自死遺族」で表現される「自死」という言葉は、遺族による強い要望によるものです。自殺に「殺す」という字が入っていることに遺族や周囲の人々は耐え難い苦痛を感じるということから、特に遺族に対する支援については「自死」が使われています。最近では、地方自治体などで「自死」という言葉に統一するところも出てきて社会でも使われ始めています。  研究をしていた2003−2004年当時は、1998(平成10)年に年間の自殺死亡者数が前年を約8,200人増と大きく上回り、3万人台が続いていました。厚生労働省「人口動態統計」によると1998年の自殺死亡者31,755人は、統計が開始された1899(明治32)年以降最大の人数です。その自殺者のうち男性が初めて7割を超え年齢層では45〜64歳が全体の約4割を占めていたことから、平成10年の自殺者数の急増は中高年男性の自殺者数の増加が主要因であると初版(平成19年版)の『自殺対策白書』は報告しています。また、この急増に関しては、経済問題や勤務問題が原因とみられる自殺がそれぞれ前年の1.7倍、1.5倍であったことから、『自殺の経済社会的要因に関する調査研究報告書』(平成18年3月京都大学)により、「平成9年から10年にかけて、経営状態の悪くなった金融機関による『貸し渋り・貸し剥がし』が多くの中小零細企業の破綻の引き金になったことが自営者の自殺の増加に大きく影響しているとみられる」との見解が示されています。このように自殺には社会的要因が関係していることが専門家初め広く認められるようになり、これまで自殺は個人の問題として捉えられてきたことが、社会で取り上げるべき社会問題として考えられる転換となりました。 このことは、私にとってもこれまでの自殺は個人的要因によるものという考えから、むしろ社会的要因が大きく影響しているとの見解に変わりました。そして、社会的要因についての研究に関心を抱きました。  公衆衛生学での研究では、自殺死亡率と関連する要因について領域ごとにデータの各種分析法により分析し、考察を行いました。そこから社会福祉の施策においては、介護保険の訪問看護が介護負担を軽減することが自殺の減少に寄与する可能性を示唆されました。また、今後の社会的政策面では、精神衛生分野における軽症者に対する精神保健サービスの提供、高齢者や障がい者への介護援助、雇用の維持、高齢者の社会的サポート等の充実が自殺予防に重要であるとの結果が出ました。このような施策は国民全体に望まれることであり、その充実へ向けての環境作りが必要との結果に至りました。  さて、公衆衛生と社会福祉とは、憲法第25条第2項には、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とあることから、自殺予防は公衆衛生と社会福祉に渡る研究課題となっていきました。 自死遺族の自責の念と自殺予防   これまでの公衆衛生学での研究は生態学的研究であったため、個人の要因と自殺との関連は分析できませんでした。次に取り組んだのが、精神保健福祉の視座からの研究です。その先行研究で、「心理的剖検」という方法があることを知りました。心理的剖検からの自殺研究をしてきた精神科医の張賢徳は、「自殺の実証研究の中核をなすもの」と捉えています(張2006:29)。それは自殺に至らしめた要因について身近な遺族の方から、聞き取り調査し、さまざまな情報から分析しようというもので、米国の自殺研究家E.S.シュナイドマンによる研究が知られています。わが国では、NPOライフリンクが2007年7月から2008年6月にかけて「自殺実態1000人調査」で305人の遺族の方に面接による聞き取り調査を実施しています。その調査結果が『自殺実態白書2008』の中で、自殺の社会的要因の他、自死遺族の悲嘆や喪失感、また日常生活における苦悩や生きづらさが報告されていました。  これらの苦しみや喪失感、悲嘆にくれる自死遺族の苦悩を私は、『自死遺児・遺族の手記から「その思い」についての考察』として論文にまとめました。そのことによりまた新たな課題も見えてきました。それは、『自殺実態白書2008』でも自殺予防が遺族を苦しめる可能性もあるとの指摘がされていたことです。「自殺のサインになぜ気付かなかったのか」や「なぜ止められなかったか」という言葉を周囲からかけられ、自死遺族自身が自責の念に苦しむ実態は、私の研究してきた自殺予防のあり方を考え直す機会となりました。 自死遺族が被る「二次被害」と人間の尊厳  自死遺族の置かれている実態を聞き取り調査や関係する文献から、自死で家族を亡くした遺族は喪失の悲しみや苦痛に加え、死因が「自死」ということでの社会的偏見や差別という「二次被害」に苦しめられていることが分かってきました。具体的には、自死が起きたことで親族から厳しく責められ、周囲の態度はよそよそしくなり、自死のあった賃貸建物については遺族に多大な額の損害賠償金が請求され、また警察では長時間に渡る事情聴取や容疑者のように扱われて屈辱感を味わったことなどが話されました。今、これらの「二次被害」については、少しずつ遺族会や関係する弁護士、司法書士などの専門家たちが被害に遭っている遺族の相談に応じ解決に向けての取り組みを行っています。調査を通して、これらの遺族や法律の専門の方々と交流する機会が得られました。自死遺族からは、精神保健だけでなく遺族の生活の保障や自死者及び遺族の尊厳と権利が守られよう総合支援を国や地方自治体に要望がなされています。  ソーシャルワーク倫理の基盤は人間の生きる権利と尊厳にあります。現在、人権に関する課題や問題に関し、過労やいじめによる自死の問題など社会には潜在する多くの問題があります。しかし、悲嘆と苦悩に苛まれ、困難な生活を強いられているにも関わらず声を上げられずにいる人々も多くあることも事実です。社会福祉の研究者として、またソーシャルワーカーとして少しでも生きやすい社会を目指し、取り組んでいきたいと考えています。