8〜9ページ つれづれ時事寸評22 「家庭の中の異邦人」と「影」 本研究所嘱託研究員 大野 哲夫 (社会心理学)  子どもたちが犠牲になる痛ましい事故や事件が相次いでいる。登下校時に交通事故に巻き込まれたり、登校中に刃物で次々襲われるという悲惨な事件も起きている。 ・2019年5月8日 滋賀県大津市の県道交差点で散歩をしていた保育園児の列に車が突っ込み、園児2人が死亡、14人重軽傷 ・2019年5月28日 神奈川県川崎市多摩区登戸で男が登校中の小学生らを刃物で次々に襲い、2人が死亡18人が重軽傷 ・2019年6月1日 元農林水産事務次官(76歳)が息子(44歳)を包丁で殺害 ・自宅裏にある区立小学校で運動会が行われ、音がうるさいと息子が怒り、怒りの矛先が子どもに向いてはいけないと父親が息子を殺害  とくにこの5月に起こった川崎殺傷事件は社会に大きな衝撃を与えている。その4日後に起きた元次官の息子殺人事件は、川崎殺傷事件との関連性も指摘されたりしている。マスメディアが報じた現在までに明らかになっている断片的情報をもとに、この二つの事件を考えてみたい。 〇川崎殺傷事件  川崎殺傷事件は、子どもたちが登校中に刃物で次々に襲われた未曾有の殺傷事件である。許しがたい犯行への怒りと社会的非難が起きたのも当然であろう。容疑者(51歳)はその場で自殺しており、犯行の動機は不明である。4日前に現場周辺を下見しており、凶器の準備などから計画的犯行の可能性が指摘されている。  容疑者は両親の離婚により、小学校入学前に父親の兄の家に預けられている。伯父夫婦とその子ども2人と一緒に住んでいたとされ、最近は長期間就労しておらず、ひきこもりと思われ、自宅ではトイレや食事のルールを作り、家族と顔を合わせないようにしていたとの報道がある。伯父や伯母ら親族からは14回にわたって川崎市への相談があったとされている。 〇家庭の中の異邦人  この容疑者は、両親の離婚と伯父夫婦に幼くして預けられるという対象喪失(母性剥奪、分離不安、見棄てられ不安など)の体験をしており、本人の心や情緒の発達に影響を与えたことが推察される。適切な愛情と世話を通して「自己肯定感」や、人生には生きる意味や生存する価値があるとの「基本的信頼感」の形成、アイデンティティの形成については十分な情報がないものの、報道では最近は同居の家族との会話もなく、パソコンやケータイなど電子機器も持たず、外部との接触がほとんどないことから、社会的に孤立した生活を送っていたと思われる。喪失体験や社会的孤立から、容疑者は孤独感や疎外感を深め、いわば「家庭の中の異邦人」となっていたと思われる。それは家庭という親密な集団の中で、ひとり「余所者(よそもの)」として内面に深い闇(影)をかかえながら生きていたことを意味する。しかも容疑者が社会に出ようとした時期は、就職氷河期と重なり、その後の非正規雇用が常態化することで、終身雇用も崩壊し、社会構造的に不安定な人々を生み出していった時期だったことも忘れてはならない。 〇「光(Persona)」と「影(Shadow)」  ところで、人は生まれると同時に「影」を持ち、「影」とともに成長する。「日の当たる場所(光)」と「影」はともに人格を形成するもので、光輝けば同時に影も濃く長くなる。「影」は「認めたくない自分」「否定的な自分」「負の自分」であり、自分の「生きられなかった半面」「許容しがたかった心的内容」「無意識に押し込めた自分の悪の部分」をあらわす。そのため、「影」を人が無理に抑圧しようとすることで、時に「影」が顔を出したり、本体の自分に反逆してきたりする。「影」と対話し、否定的な部分を受け入れることは豊かな自分を生み出すのだが、生き方や価値観が柔軟性を欠き一面的になったり、硬直化してくると、「影」は警告し、根本的な変化を求めて反逆してくることがある。  川崎殺傷事件の容疑者は子ども時代の複雑な家庭環境から、満たされない愛情飢餓がゆがんだ形(反動形成)で社会への根深い恨みと自己破壊衝動に結びついていったのではないだろうか。自分が認めたくない自分=影との内面的対話を避け続け、やがて自分を追い詰めた社会への復讐として拡大自殺という許されざる行為を選択したと思われる。 〇「影」の肩代わり  元次官の息子殺人事件にも、同様に「家庭の中の異邦人」と「影」を読み取ることが出来る。父親は事務次官として官僚のトップに努力して登りつめることで、「権力」「名声」「地位」「人格者」なる「光」を手に入れたものの、そのために切り捨てた「影」の部分を、息子が親の肩代わりとして背負うこととなってしまった。幸せと思われた家庭の中で、息子はひとり異質なストレンジャーとして、家庭内暴力をふるう「悪」なる存在として自己主張していた。親は「影」を切り離し、別の場所で暮らさせるものの、再び実家に戻り、運動会の子どもたちへ危害を加えるのではないかとの不安から父親は殺害に至るのだが、これは自分(家族)の「影」を究極的に切り離す行為で、川崎殺傷事件をめぐる報道に過度に影響を受けたことが考えられる。早期に対話や相談がなされていればと悔やまれる。