P06〜P07 わたしの研究 62○ テーマ  保育実践を学ぶ意味 本研究所研究員 上原 真幸 (保育学)  今年度4月に本学に赴任しました上原です。本学の第一部社会福祉学科の卒業生でもあります。大学教員になる前は保育所で保育士として勤めていました。年長児クラスを担任した際の、A児の運動会参加に向けた取り組みから、私の研究について述べたいと思います。 A児の姿  男児。1歳頃から他動傾向、感覚過敏、こだわりの強さがある。5歳6ヶ月の時に軽度自閉症と、1〜2歳程度の知的な遅れがあると診断された。年少クラスまでは、毎日のクラス活動にもほぼ参加することが無かった。年中クラスでは、担任保育士が根気強くA児と関わったことで、他児と同じ場で過ごすことができるようになった。  年長クラスの担任としてA児と関わるなか、A児の、何か目に見える目的があると意欲を持ちやすい性格を活かし、1日のなかで小さな目標をこまめに出すようにした(例:約5分のお集まりを最後まで自分の椅子に座る)。達成できたらA児が好きなトーマスのシールをボードに貼る、ボードの1列が埋まったら光るシールを貼る等を取り入れた。その結果、A児自身の成長も伴い、夏頃には多くの活動に最後まで参加できる姿があった。  ある日、A児は足が速いことに気付いた。ゴールしたらシールを貼れる嬉しさがあるだけで、長い距離のマラソンも上位でゴールする。「え???!?A君ってあんなに足早かったの?」と他の保育士達も驚いたくらいだ。ただ、ゴール近くで追い越されるとその場に崩れて大泣きする。 運動会のリレーをきっかけに  運動会には目玉競技の紅白リレーがあった。年長児から紅白1人ずつ選ばれるアンカーは、たすき掛けをしトラックを2周走る。誰がアンカーに選ばれるか、毎年保護者も気にしており「今年は○○ちゃんじゃない?」など噂が走る。私は紅組のアンカーにA児を選んだ。理由はいくつかあった。  一つ目に、A児が「その場にいる」だけでなく、友達と一緒に楽しい悔しい思いを感じながら、運動会に参加してほしかったためだ。そのために、A児が自信を持って取り組める「走る」という行為を最大限活かそうと考えた。  二つ目に、年間の行事を通し、クラスの子ども全員がどこかで注目される場を作りたい。A児が注目される場としたら、走ることがベストだと判断した。  三つ目に、A児の姿をみんなに認めてもらいたかったからだ。年長児を担任することになった際、数人の保護者から「先生、大変ですよ…」とA児のことを保護者から聞かされた。気持ちはモヤモヤしていた。A児へのマイナス意識を払拭したいと強く思った。  運動会までにいくつか作戦を立てた。A児は初めての場所が苦手であるため、お散歩ついでに当日会場のグラウンドに行った。また、何よりもA児が追い越されたときに走り止めてしまわないかが最も気がかりだった。練習では、それまでは紅組が勝っていても、A児が白組アンカー(B児、保育士が本気で走っても負けるくらいダントツで足が速い)に追い越されることもある。バトンがA児に渡った時点で紅組が負けていることもある。最初から走る気力を失くしていることや、途中で諦めてしまう日もあった。その度に、負けてもゴールすることで初めてチームのみんながゴールしたことになること、勝ち負けではなくA児が走ってゴールすることを皆が応援していると根気強く伝えた。すると少しずつ、追い越された瞬間立ち止まり、「イヤだー!」と叫んだかと思えば、泣きながら再び走り出す日や、負けた状態でバトンが渡っても走り、ゴール後に「B君は速いなぁ。トーマスみたいだ」とつぶやいている日もあった。  運動会当日。雨天のため会場は急遽小学校の体育館へと変更された。一度も入ったことのない場であり、クラスの子どもたちはもちろん、A児も対応できるか心配した。普段よりテンションが高いがきっと大丈夫と私は自分に言い聞かせていた。  いよいよプログラム最後の紅白リレー。慣れない場所だからか、他の子の走りもいつもと違う。普段以上に紅組がダントツで負けている。このまま白組アンカーにバトンが渡ったら、1周と言わず2周以上の距離が離れて紅組が負ける。そうなったときにA児の気持ちが耐えられるだろうか。  そんなことを思っていた時、白組でバトンパスのミスが出た。子どもも焦ってしまい、落ちたバトンを拾った後、もう一度落としてしまった。その間に紅組が白組を追い越した。保護者の応援が一気に盛り上がる。先にA児にバトンが渡った。半周程遅れてB児が走り出す。A児はB児を気にして時々後ろを見ながら懸命に走る。B児がだんだん迫ってくる。応援の声が更に大きくなる。B児がA児の真後ろに来た。普段以上のスピードで二人がほぼ並走して走る。足一歩の差でA児アンカーの紅組が優勝した。あと3メートル距離があったら、勝敗は違っただろう。悔し泣きするB児にA児は近寄り、頭をなでていた。  運動会終了後、A児にもB児にも多くの保護者が「頑張ったね、かっこよかったよ」と言葉をかけてくれていた。そして私に「A君がアンカーって聞いたときはびっくりしたけど、A君あんなに速かったんですね。かっこよかった」と声をかけてくださる方もいた。心の中でガッツポーズした。 研究者としての望み  日々の保育の中で、どうしたらよいだろうと戸惑うことがたくさんありました。書籍には「考慮すべきである」とまとめられ、具体例が書かれていないものも少なからずあります。A児の例は私の保育実践の1つです。全国には保育者の数だけ保育実践があります。私自身たくさんの保育実践を参考にしながら自分の保育をどうするか考えました。  保育の場を離れた今、無数にある実践を私が学ぶことで、園で毎日子どもや保護者と向き合う保育者の方々に対し、わずかなお手伝いとして保育のアイディアをお伝えできるような役割が担えたら、そのような研究者でいられたらと思っています。