P02〜04 新型コロナウイルス感染症に翻弄される暮らしと社会 〜私たちはどのような未来を選択しようとしているのか? 本研究所研究員         宮北 隆志(生活環境学・衛生学) はじめに  2020年3月のパンデミック宣言(WHO)から早くも2年が経過しようとしている。新型コロナウイルス(SARS-Cov-2)による未知の感染症(COVID-19)は、世界中に蔓延し(確認された感染者は2億6千万人を超え、死者は520万人を上回る:11月30日現在)、未だに終息への道筋は?えてこない(CCSE?at?JHU)*1。未知のウイルスは、定説とは異なり、第5波と言われる感染爆発の主因とされるデルタ株では、従来型に較べて感染力を増している。そもそも、その起源、人への感染ルート、ウイルスへの接触、増殖・感染、発症の機序・病態(後遺症:“Long CORONA”も含めて)も十分に解明されているとは言えない。  一方で、コロナ対策として膨大で不透明な予算(「お金」)が、十分な社会的合意がなされないままに市場に投入され、その一部が地域社会にも分配(「支給」)されてはいるが、結果的には国・地域、社会的な帰属・立場によって、社会的格差が大きく拡大し「貧困」の固定化が明らかに進行している。  本稿では、この間炙り出されてきた諸課題をあらためて確認・共有し、「今を生きる私たちに、また社会に求められているものは何か」についての議論を深め、人と人、人と生き物、さらには人と健全な生態系全体とのつながりをより豊かなものにしていくための手がかりとなるものを探ってみたい。 1.様々な社会的災禍(Social disruption)によって炙り出されてくる問題  福島の地に、そしてその周辺地域に暮らす人々の故郷を、多くの人と生き物の命(Life)を奪い取った2011年3月11日の福島原発事故から10年。その後も、2012九州北部豪雨、2016熊本地震、2017九州北部豪雨、2018豪雨(九州・中国・中部・東北など)、2019豪雨(関東・東北)、2019台風(15号、19号)、2020熊本豪雨など、甚大な被害を引き起こす災害が毎年のように起きており、翌年の雨季に備えた対策・指針がその都度とられてはいるが、残念ながら十分に生かされているとは思えない。  また、今回のコロナ禍で炙り出されてきた多様な問題、近いところでは2009年の新型インフルエンザ(A/H1N1)の感染拡大は、我が国においても、公衆衛生上の重要な政策的課題として認識され、「基本的対処方針」として、検疫、情報収集・提供、感染拡大防止策、医療、並びに関連物資(マスク、消毒薬、PCR検査薬)の確保、ワクチンの確保と接種体制、国民生活への影響などの項目で整理されている。しかしながら、「疾病構造の変化」に加えて、行財政改革と一体化した「緊縮財政」下においては、感染症対策(命と健康をまもる視点)が疎かにされたと言わざるを得ない。また、「地域保健法(1994年)」によって、広域的な視点から市町村(保健センター)を指導する立場にある保健所の機能がマンパワーと設備・機器(ハードとソフト)の両面において低下していたという実態が、今回の新型コロナ禍における科学的判断と政策決定・実行に関わる混迷/混乱の背景にある(日本感染症学会「提言」2009年5月)*2。 2.「3密」(密閉、密集、密接)の回避と「新たな生活様式(ニューノーマル)」の選択・実現  新型コロナ感染予防策としてほぼ定着した「3密」の回避は、自分や家族、地域コミュニティの命と暮らしを守る基本的な生活態度としては不可欠であるが、リモートワーク、オンライン講義やソーシャルディスランシング(本来的にはフィジカルディスタンス)の順守などを、来るべき「新たな生活様式」として常態化させることに終始し、従来の「利潤第一主義」の経済に立ち戻ることを看過することはできない。  新型コロナ禍や、「地球温暖化が人間活動によるものであると断定し、極端な豪雨や熱波、干ばつが増加している原因になっている気候危機に起因することが断定された」こと、年々深刻化する生物多様性の劣化などの「根底にある真の解決すべき原因(Root?Cause)」から目をそらし、これまでの「人間中心主義」の暮らしと社会システムを慢然と常態化することには大きな危惧を感じる。  100年に一度の危機を迎えているとも言われる今だからこそ、「日々の暮らしの中でいったい何が起きているのか?」「個人として、また地域として、この災禍から何を学ぶことができるのか?」「今を生きる私たち一人ひとりに、また社会に突きつけられているものは何か?」について、じっくりと考えてみる必要があるのではないだろうか?  図1に示された、それぞれが多様に絡み合った課題の複雑性と不確実性(Complexity and Uncertainty)にたじろぎ、無力化され、その解決を、「専門家」や「行政(国・地方自治体)」の手に委ねてしまってはいけない。保健・医療・福祉、教育、子育て、生業/雇用など多様な領域で、地域固有の社会的な困難に皆で向き合い、それぞれの課題を解決に導く道筋(プロセス)を自分たちの手に、日々の暮らしの中に取り戻していくことが、今求められている。 3.地質学的な時代区分の転換:「更新世」から「完新世」、「人新世」へ  地質学的(Geological)にみれば、約1万1700年前、寒冷で予測しがたい状況にあった「更新世(プレイストセン)」*3から、気候が安定した「完新世(ホロセン)」に変わると、地球上のいたるところで人口が増加した。同時に、それまでの狩猟生活から農業・牧畜を生活の基盤とする社会への転換が徐々に移行し、土地が人間によって改変され、人間は地球の限界(プラネタリー・バウンダリー)への道を歩み始めた。そして、今や人間(「人間株式会社」)は、その改変の規模を地域的なものではなく地球規模に広げ、その影響も地球規模に大きくしている。このプロセスの延長線上にある地球(社会生態学的システム)の現状をまとめたものが、J.ロックストロームら(2018)による「小さな地球の大きな世界」*4であり、この成果に基づき、世界中193ヵ国の合意を得て、2015年設定されたものがSDGs(Sustainable Development Goals: 持続可能な開発のための目標)である。  「人新世(アントロポセン)」と命名されることになるであろう新たな世界を生きる私たちは、この半世紀(50年から60年)をどのように振り返り、どのような価値観に基づき、新たな生き方や社会を選び取っていくことが求められているのであろうか。  今後は、筆者が教育・研究上の基軸としてきた「衛生学」、生命、生活、人生の3つの「生」を「衛(まもる)」という考え方を、これからの暮らしと社会のあり様、そこに到達するために必要な諸要因とそれぞれの要因間の関係性について、地球生態系全体をも視野に入れたグリーンソーシャル・ワーク(Environmental Social Work)*5の新たな展開についても考えていきたい(図2)。  そこでは、〈レジリアンス〉〈持続可能性〉〈ソーシャルな免疫力〉〈ケアに満ちたコミュニティ〉〈地域固有の風土・歴史・文化〉〈地球生態系〉など、新たなキーワードをも追加した議論が必要とされるであろう。 4.おわりに  公式確認から60年以上を経過しても被害者が声を上げ続けなければならない「水俣病事件」、沖縄県民に大きな負担を押しつける中で事故・事件の絶えない「米軍基地問題」、また、多くの命と故郷を奪い取った東電の「原発事故」に向き合う中で、私たちは目を覚ましたはずなのだがという強い思いに駆られる。今回の、新型コロナウイルスによる「パンデミック」は、「命の尊厳」よりも過度のグローバル化による「自国第一主義」と「利潤の追求」を重視・優先する現代社会のあり方をあらためて問い直すことを、今を生きる我々に求めている。感染症との闘いには長い歴史がある。また、我々の体内・周辺環境には細菌とウイルスが溢れるほど存在している。細菌やウイルスも、ヒトも自然の一部であるとの視点に立てば、「憎き敵」として見るだけでなく、どこかで「折り合い」をつけることこそが必要である。持続可能でレジリアントな地域社会の再構築に向け、日々の暮らしとそれを規定する地域社会、そして社会全体の有り様を問い直す、最後のチャンスを与えられているようにも思われる。 *1 https://www.arcgis.com/apps/opsdashboard/index.html#/bda7594740fd40299423467b48e9ecf6 *2 「一般医療機関における新型インフルエンザへの対応について」(2009年5月)(社)日本感染症学会・新型インフルエンザ対策ワーキンググループからの提言 *3 「人新世(アントロポセン)」における人間とはどのような存在ですか?    https://www.10plus1.jp/monthly/2017/01/issue-09.php *4 J.ロックストローム、M.クルム(2015)著、武内・石井(2018)監修    「小さな地球の大きな世界 プラネタリー・バウンダリーと持続可能な開発」丸善出版 *5 R.ドミネリ(2012)著、上野谷・所(2017)監訳    「グリーンソーシャルワークとは何か」ミネルヴァ書房 図1 新型コロナ禍の中で炙り出されてきた諸問題 図2 「いのち(Life)」漲る/輝く地域の規定要因    〈レジリアンス〉〈持続可能性〉    〈地域固有の風土・歴史・文化〉〈地球生態系〉