P10~11 福祉見てある記68 テーマ 一人暮らしの孤立を防ぐ支え合い 「NPO法人でんでん虫の会」への訪問 本研究所嘱託研究員 那須 久史 (社会福祉学、ソーシャルワーク論)  熊本市中央区にある「NPO法人でんでん虫の会」を訪れた。2011年に設立され熊本県内において、ひとり暮らしの生きづらさを抱えた方々への生活支援を行なっている団体である。  2024年10月末、こちらの事務所に訪問し同法人の代表、吉松裕藏さんから話を伺った。 <福祉の世界へ入るきっかけ>  得てしてNPO法人の立ち上げに際しては、代表者の“ある種強い想い”があるが、吉松さんも同様である。まずは法人立ち上げ前のストーリーから探っていく。  当時、大学卒業後にYMCAに就職されていたが、48歳の時には定年後のことを思い浮かべる。50歳の頃、熊本県福祉総合相談所へ相談に出向き、社会福祉士の資格取得の必要性を感じ、52歳の時に資格取得となった。当時は子育てもあり収入が必要な時期であったが、何とかなると前向きに考え福祉の世界に入り込んだ。2001年4月からふくし生協に在籍した。当時は介護保険制度の施行があった時期でもあり、重度訪問介護や配食弁当、移送支援の業務等に従事し始めた。 <NPO法人の立ち上げへ>  2004年1月4日、キリスト教会に同じ55歳のホームレスの男性の方が、剪定バサミを持ち寒い中訪ねて来られた。その方は、お金がなくあちこちを訪ね歩き日銭を稼いでおられた。自分の目の前に同じ55歳の人、これは他人事でないと思った瞬間である。当時、白川ベリで毎月1回おにぎりを配布するボランティア活動をされていた。その活動に継続的に参加され、顔の見える関係が出来てくると、相手の方々から具体的・個別的な困り事の話が出てくるようになった。その後の活動は、安心して睡眠が取れる場所の確保が必要で、その役割を担っていくことになった。その結果、安全な住まいの確保ができ、アパートに入居したら終了と思っていた。しかし、それだけでは求められる自立支援にはならなかった。一例として50歳前の男性が亡くなられて2ヶ月経過して発見された。吉松さんはこれに大きなショックを受け、これをきっかけとして、発起人の一人として「NPO法人でんでん虫の会」を立ち上げることになった。2010年4月から訪問や電話相談の活動を開始。同年11月に設立総会を開き、翌2011年3月11日に法人化となった。 <NPO法人でんでん虫の会の活動内容>  野宿されていた当事者の方が発案した“おしゃべり会”が4月20日に始まった。「あそこに行くと誰かがいる」と。その後学習会やワンコインサービス(就労)も始まった。活動の3本柱は、「訪問・相談支援」、「交流・文化支援」、「就労・生活支援」として現在も事業が行われている。 <おしゃべり会から相談・交流へ>  熊本市市民活動支援センター「あいぽーと」で毎週水曜日に「おしゃべり会」が行われる。おしゃべり会では、参加者が「小さい頃の遊びは?」「今一番会いたい人は?」などのテーマに答えながら自己紹介をする。毎回、20~90代と幅広い年齢の方々が参加され、会話の内容は、お金のことや病気、老後、住まいなど、特に最近では依存症の方々からの相談もある。 <狭間にあることを>  役所の窓口への同行をはじめ、生活費の管理等など、制度の狭間や制度の壁を超えて支援することがある。医療や介護が必要な人からの相談を受け、相談者を他の支援団体や専門家とつなぐ役割ももっている。 <病んだときも、死を迎えるときも>  人は誰しも誰かとつながっているから、一人で居られる。しかし身寄りのない人は「死んだらどうなるんだろう」といった思いがあり、一人暮らしの方が抱える最大の不安になっている。会では、そのような身寄りのない人に電話や訪問を繰り返しておられる。吉松さんは、これまで50人を超える会員との別れを経験されている。 <ここ最近の活動>  あいぽーとでのおしゃべり会に加え、東、西、南の3ヶ所で新たにおしゃべり会が立ち上がった。また、2022年度は日本財団の助成金を受けて、「ひとり暮らしでも安心して暮らせる『ひと・地域・仕組み』のまちづくり」、2023年度は、WAM(独立行政法人福祉医療機構)の社会福祉振興助成事業を受けて「ひとりじゃないよのまちづくり」事業に取り組まれた。この事業では、生活困窮者支援組織、校区社協、地域包括支援センター、司法書士、刑余者支援組織、医療機関、傾聴普及ボランティア団体、学識経験者、社会教育機関、熊本市、県・市社協、災害支援団体などと連携を深め、孤立・孤独を防ぐための方策を話し合われた。  吉松さんは、いつも笑顔でお話しをされる方である。「だれでんかれでん、なんでんかんでん、いつでんどこでん」始められる活動が、全国各地に広がることを優しい笑顔で話された。