P02~05 能登半島地震・奥能登豪雨の 被災地で学生とともに 本研究所研究員 高林 秀明 (社会福祉学、地域福祉論)  2024年1月1日に発生したマグニチュード7.6の能登半島地震は、石川県、富山県、新潟県等に甚大な被害をもたらしました。  私は、1月12日に、災害支援団体「チーム神戸」を通して輪島市中心部(写真)の避難所に入りました。1月26日からも、同じ避難所に泊まって、避難所や在宅の避難者のサポートを行いました。その後、毎月1回のペースで、これまでに11度、輪島市、珠洲市、能登町にて、延べ23人の学生とともに支援活動を続けています。そのなかで、私が感じた被災地の抱える課題をお伝えします。 ●増える関連死  能登半島地震の避難環境の過酷さは、災害関連死の数に現れています。石川県の関連死は255人に及び、直接死の228人を上回っています(2024年12月13日、石川県発表)。  輪島市の関連死の認定件数80件は、人口21,903人に対して0.37%です。珠洲市の認定件数49件(同)は人口11,721人に対して0.42%、能登町の認定件数49件(同)は人口14,277人に対して0.34%です。いずれの自治体も人口1000人当たり3人を超えています。ちなみに熊本地震の益城町の関連死件数は25件であり、当時の人口比で0.07%でした(人口34,609人)。輪島市と珠洲市の関連死の割合は益城町のそれぞれ5.3倍、7.0倍にものぼります。  能登半島地震の被災地の2024年1月から4月までの避難所からの救急搬送数は771件であり、そのうち1月が676件でした(2024年5月16日、北國新聞デジタル)。1月の輪島市の324件は人口比で1.5%に当たります。震災後の過酷な避難環境のなかでいかに多くの人たちが生命の危機に直面していたかがわかります。 ●劣悪な避難環境  私と大学院生は、2024年1月12日、金沢市からレンタカーを運転して5時間以上かかり、夕方に輪島市内の中心部にある避難所に到着しました。50人ほどの被災者は雑魚寝状態で、新聞紙またはゴザの上に体育マットを敷いて毛布をかけて寝ていました。発災から2週間近くになるのに、約30年前の阪神・淡路大震災の避難所の光景を見ているようでした。体育館は、入り口のドアや窓枠が地震で痛み、マイナスの気温の風が常に吹き込んできます。避難者には高齢者が多く、ガン等の重い病気を抱えている人もいました。このような状況にショックを受けて、2週間後の1月末に再度訪問したところ、発災から1ヶ月が経っても2週間時点の状況とほとんど変わっていませんでした(写真)。ダンボールベッドと仕切りが設置されたのは、2月になってからです。人権が守られないような劣悪な避難環境が1ヶ月以上も続いていました。 ●食事や物資の問題  避難所の食事は、朝はカップ麺か菓子パン、昼と夜は自衛隊等による炊き出しでした。私が見た限り、おかずの種類も味噌汁の具も少なく、余っているからといただいたスープは今までに食べたことがない不思議な味でした。野菜が不足し健康を維持できる水準とは思えませんでした。災害救助法では1日当たりの食費(炊き出し費用)は1人1日当たり1,230円以内(当時)と定められており、多様なメニュー、栄養バランス、質などに配慮することが求められています。食べることから健康の維持、生活の再建ははじまるといえますが、過去の災害でも問題があった食事の質は今回も改善されていませんでした。  ところで、避難所の炊き出しや支援物資は、自宅で避難生活を送る、いわゆる在宅避難者も受け取ることができます。しかし、私が避難所で寝泊まりした6日間、そのような様子はありませんでした。一方で、在宅避難者等のために物資配布をしている民間の支援拠点には、毎日のように長蛇の列ができていました。私たちは水を提供しながら、避難所の周辺地域の在宅避難者を訪ねて歩きました。避難所に行かない理由として、断水しているが電気が通っていること、同居の高齢者が避難所では落ち着いて生活できないなどと聞きました。石川県は避難所以外に避難している被災者向けの専用窓口を設けて登録を呼びかけていましたが、在宅避難者の数も状況も十分に把握されず、必要な支援を受けられていませんでした。 ●ビニールハウス避難や車中泊  2月半ば、学生たちとともに、輪島市の農村部にあるビニールハウス避難所を訪問しました(写真)。10人の避難者は主に高齢者でした。80代の女性は、肥料袋を重ねた上に布団を敷いて寝ているため「腰が痛くなる」と話されました。晴天の日のハウス内は36℃になり、雨や雪の日は「屋根(天井)」に当たる音が大きくて眠れないそうです。私たちが訪問した輪島市の指定避難所以外のビニールハウスや地区集会所では、物資や食事等の十分な支援が届いていませんでした(輪島市の避難所数は1月末時点で87ヶ所、3月末時点で53ヶ所)。  また、車中泊の実態も把握されていないようでした。私が滞在していた避難所の敷地内にいた車中泊の方は、行政職員から一度も声をかけられたことはありませんでした。2週間以上も車で寝ていたため、膝から下が腫れ上がってしまい、医者にかかり、利尿剤を処方されましたが、痛みがないからと気にとめていませんでした。それでも、避難所の被災者やボランティアの声かけによって少しずつ体を動かし、2月前半に避難所にダンボールベッドと仕切りが設置されたことで、車中泊をやめて避難所に入り、足の状態は回復しました。 ●建設型仮設の現状  輪島市にムービングハウス型の仮設18戸が設置されたのは1月末でした。建設型仮設は2月に58戸、3月に581戸と増えて、9月までに44団地、2,866戸が完成したところで、9月21日、奥能登豪雨災害が発生しました。輪島市の河原田川沿いの仮設団地等では床上浸水し、被災者は再び避難所などに逆戻りとなりました。仮設住宅の6割が浸水想定地区に建設されたことは早くから報道されていましたが、まさかの事態が本当に起こってしまいました。輪島市は泥の撤去後に同じ仮設に再入居を求めていますが、再び水害が起こらないといえない場所にどうして被災者を戻そうとするのでしょうか。  7月までに石川県内の19市町に「地域支え合いセンター」が開設されました。センターを受託する社会福祉協議会やNPO等が、建設型仮設やみなし仮設等の支援を始めています。支え合いセンターは戸別訪問、交流支援、相談支援、制度改善などの役割を担いますが、そこにはいくつも論点や課題があります。  8月に輪島市のある仮設団地の集会所にて、学生と私はたこ焼きやかき氷を提供しながら被災者のお話を伺いました。「仮設団地の駐車場が少ない」「仮設団地に集会所がない」「部屋のなかにまでアリがいて、指の間を刺された」「プレハブの仮設は暑過ぎてエアコンが効かない」「部屋が狭い」「夫婦や親子が1Kに住んでいる」「同じ団地の住民の顔も名前もわからない」「仮設は2年間と聞いているがそのあとが心配」などです。これから必要なのは、このような悩みや不安等を語り合う場、それを受け止めて情報提供や必要なサポートをする人たちとの交流です。  しかし、気になるのは、8月から12月にかけて、学生とともに輪島市のいくつかの建設型仮設を訪問した際、集会所が利用されている様子はほとんどなく、自治会の結成の動きもないことです。他方で、住民のつながりの強い山間の地域では、仮設団地の集会所を積極的に活用しているところもあります。災害のたびに、仮設団地での孤独死が問題化します。孤立を防ぎ、生活を支える上で、仮設団地の交流支援は重要な取り組みですが、能登半島地震の被災地ではすでに孤立の問題が生じているように思います。 ●狭い仮設住宅  輪島市の建設型仮設住宅では、一様に2人世帯が1K(20m2で居室は4畳半のみ)で暮らしていることに驚きました。仮住まいとはいえ、今後、2年から4年、5年の間、狭い4畳半に2人で暮らすことになるのです。狭小な部屋での生活によって家族関係や健康に深刻な影響が生じる懸念があります。  建設型仮設住宅の間取りを、国が定めている「最低居住面積水準」と比較すると、すべての世帯で最低水準を下回っています。仮設住宅の2DK(30m2)に4人暮らしの世帯もありました。市役所から仮設住宅の1Kに80代の父親と同居することを求められた60代の息子は、4畳半では耐えられないと、職場で寝泊まりしています。1Kで80代の母親と暮らす50代の息子は、虚弱な母親のベッドがあるので、身体の半分は押し入れのなかで寝ていると言われました。  石川県と輪島市は仮設住宅の建設用地が少ないという理由で、2人世帯は1Kを標準にしたとみられますが、実際に生活の様子を聴くと、健康への影響が非常に心配です。石川県と輪島市は、「4畳半2人入居問題」を改善するために、9月21日の豪雨災害の被災者向けの仮設住宅の建設に加えて、新たな土地を確保して戸数を増やすべきです。また、過去の被災地の例を参考に、既存の仮設住宅の改善も求められます。 ●みなし仮設と在宅避難者  建設型仮設の他に、みなし(賃貸型)仮設に入居している被災者がいます。その多くは金沢市に集中しています(同市内のみなし仮設は2,665戸、7月2日現在)。9月に金沢市近くのみなし仮設から輪島市の建設型仮設に転居して間もない60代後半の一人暮らしの女性にお話を伺いました。女性は、知り合いが全くいない地域のアパート(みなし仮設)に入居して1ヶ月ほどして孤独に耐えられなくなったと言います。輪島市に戻って気持ちは落ち着いてきたようですが、持病や経済面など今後の生活の不安を語っておられました。  また、9月21日の豪雨災害以降、浸水した住宅の2階などで暮らす在宅避難者がかなりの数にのぼるとみられます。10月と11月に、輪島市の中心部で、学生3人と私は、床上浸水された住宅の泥だしと壁剥がしなどのお手伝いをしました(写真)。早くリフォームしたいが依頼できる大工がいないとのことでした。寒い冬が近づきつつあり、自宅2階での避難生活を続けることに不安を訴えておられました。  能登半島地震と奥能登豪雨の被災者に少しでも寄り添えるように、今後も学生とともに被災地での支援活動を続けていきたいと思っています。 表 最低居住面積水準と仮設住宅のタイプごとの世帯人数別の面積(石川県) (高林作成) 世帯人数別の面積(例)(単位:m2) 単身 2人 3人 4人 5人 最低居住 面積水準 * 世帯人数に応じて、健康で文化的な住生活の基礎として必要不可欠な住宅の面積に関する水準(すべての世帯の達成を目指す) 25 30 40 50 57 建設型 仮設住宅 1K(1人?2人用) 5~10㎡狭い 20 2DK(2人?4人用) 10~20㎡狭い 30 3DK(4人以上) 2人世帯であれば水準以上だが、輪島市では2人世帯は1Kに入居 10~17㎡狭い 40 *住生活基本法に基づく住生活基本計画に示されている水準