P08~09 つれづれ時事寸評34 戦後80年、先送りされ続ける、米軍基地と労働者問題 本研究所研究員 春田 吉備彦 (社会保障法・労働法)  法学部等で開講される「社会保障法」では、労災・雇用・医療・介護・年金という5つの社会保険、こども支援、家族支援、障害者福祉、生活保護、社会福祉等のテーマが取り扱われる。労災保険では、労災保険法とともに労災民事訴訟が取り扱われる。過労自殺や過労死やパワハラ等の問題が新聞報道等で繰り返し報道される。この場合、被災者や遺族は、労基署との関係では労災認定を求め、使用者(企業)や上司等に対しては労災民事訴訟を起こすことになる。  労災民事訴訟では、使用者には安全配慮義務違反を理由に債務不履行責任(民法415条)を問い、使用者および上司等には不法行為責任(民法709条および民法715条)を問うことになる。過労自殺等の裁判例があとを絶たないことから、裁判例の事実関係は悲惨なものが少なくないが、法的解決パターンは定式化され、労働裁判例としては読みやすい。  ところが、米軍基地で働く基地労働者に係る労災民事訴訟は見通しが悪くなる。米軍基地は沖縄だけではなく、青森・東京・埼玉・神奈川・静岡・京都・広島・山口・長崎といった日本の10都府県にあり、そこでは、国(防衛省)は25,874人の基地労働者(2025年1月末現在)を間接雇用方式によって雇用し米軍に提供する。その法的根拠は、日米地位協定12条4項であり、国内法上の根拠はない。基地労働者は国家公務員ではなく、民間労働者が享受する国内労働法規の適用も阻害された働き方をしている。  第二次世界大戦後、米軍は日本に進駐軍として進駐を始め、戦後80年たった今でも駐留軍として駐留している。首都圏西側には日本列島を横切る巨大な空の壁があり、横田空軍基地の米軍が管制権を握る「横田空域」の問題がある。羽田・成田に発着する民間機は米軍の許可なく通過できず、同様な問題は「岩国空域」「嘉手納空域」にもある。米空軍は、北は北海道から南は沖縄まで、日本の各地にいくつもの低空飛行訓練ルートを設定して、日米地位協定5条2項を根拠に「訓練」と「移動」の概念を使い分けることで、急降下・急上昇を伴う対地攻撃訓練を繰り返し、日本各地で墜落事故も起こす。米海軍・海兵隊も「寄港」と「移動」の概念を使い分け、自由に往来する。米陸軍も1972年の相模原の戦車闘争で示されたように、道路交通法に基づく車両制限令の重量規制を適用除外する国内法を新たに日本政府に作らせることで、これまた自由に「移動」できる。主権国家となった母国で他国の軍隊が縦横無尽に行動する。  日米地位協定3条1項に基づき、米軍は排他的基地管理権を執ることができ、基地内は米軍の主権下にある。防衛省職員等は米軍の許可なく基地内に立ち入れず、基地労働者の労働実態を十分に把握できない。基地内の基地労働者に係るパワハラ等の問題に、労災の事前予防に係る労働安全衛生法が実質的に機能せずに、事後的救済としての労災保険法に係る労災認定でも労働基準監督官の実証見聞等が十分にできない。  労災民事訴訟の裁判例を見ていくと、国と米軍に安全配慮義務を分配したうえで、国が米軍基地内のアスベストに係る「個々の作業内容や粉じん対策をほとんど把握して」おらず、米軍が「対策実施義務を充分に尽くしているかどうかを不断に調査・監視し、必要な措置を講ずる安全配慮義務を充分尽くしていなかった」として、国の安全配慮義務違反を認めた、米軍横須賀基地事件・横浜地裁横須賀支判平14.10.7等の系譜と「間接雇用形態においては、被用者との雇用関係に関する義務は、法律上雇用契約上の雇用者となる被告が負うのは当然であるが、米軍は、実際の労務の管理者ではあっても、……被告に対して直接の契約上の義務を一切負わないものと解すべきである」として、国のみに安全配慮義務を負わせる横浜地裁横須賀部判平21.7.6等の系譜がある。両者の法的構成はいずれにしても米軍を完全に免責し、国にのみ責任を押し付ける。この問題に係る最新の判例である、国(在日米軍厚木航空施設・パワハラ)事件・東京高判令5.6.28を参照しても―議論の詳細は割愛するが―対外国民事裁判法や外国国家の主権免除に係る安易な解釈や横田基地夜間飛行差止等事件・最判平14.4.12の射程範囲を曲解しながら、基地労働者の安全配慮義務の問題において米軍を免責する法構成は揺るがない。戦後80年たつのに米軍に係る契約責任を規定した日米地位協定18条10項が争点になった裁判例は存在しない。  米軍の民事責任を問いやすい、公務上不法行為の事例―この構成は労災においても利用できるが―においても、米軍は課された法的責任を果たさない。公務上不法行為は、日米地位協定 18条5項に基づき、日本政府と米国政府との関係は処理され、損害賠償金は米国政府から償還されるための国内法的仕組みとして、いわゆる民特法がある。民特法に基づき国が嘉手納・普天間・厚木・横田等の13の米軍基地爆音訴訟で確定した賠償金を全額負担した後、米軍が地位協定上の応分の負担(75%)に応じず、国が肩代わりする金額は少なくとも約704億あり、日本人同士で付けは回され続ける(毎日新聞2024年2月27日)。  戦後一貫して、「米軍無答責の原則」を容認し、憲法9条・天皇制・沖縄の問題の背後に隠された米軍基地の問題を総括できずに先送りを続ける姿が、戦後80年たった日本の現実である。