水俣学プロジェクト3

もうひとつの「沈まぬ太陽」:法政大学大原社研五十嵐所長の労組資料展、開会挨拶

展示会「水俣病と向き合った労働者たち」のオープニングに当たってのあいさつ

展示会「水俣病と向き合った労働者たち」のオープニングに当たり、共催団体

としての法政大学大原社会問題研究所を代表して、ひと言ごあいさつ申し上げます。

水俣病と言えば、工場排水による悲惨かつ大量の人的被害をもたらした恐るべ

き公害として、今日では世界中に知られております。この加害企業であるチッソ

の労働組合としては、会社寄りの第2組合で連合傘下の化学総連に加盟している

チッソ労働組合が良く知られております。しかし、もう一つの労働組合があった

こと、公害企業の労働組合でありながら、チッソの社会的責任を内部から追及

し、水俣病の被害者を支えた労働組合が存在したことは、残念ながら、十分に知

られているわけではありません。

今回の展示会は、この「もう一つの労働組合」である新日本窒素労働組合に光

を当て、公害発生企業で働いた労働者としての贖罪のために異例の「恥宣言」ま

で行った労働組合の存在を明らかにするうえで、大きな意義を持っています。同

時に、会社側の言いなりにならず、水俣病の患者の側に身を寄せた人々の存在を

明らかにすることによって、チッソで働いた労働者の名誉を回復するという点で

も、大きな意義があると言ってよいのではないでしょうか。

現在、『沈まぬ太陽』という映画が公開され、大きな話題を呼んでおります。

この主人公である恩地元のモデルは、日本航空の第1組合の委員長であった小倉

寛太郎氏であると言われております。主人公が9年7ヶ月もの長期にわたって海

外の辺地をたらい回しにされたのは実話であります。

この小倉氏と同様に、会社の誘いを拒み、切り崩しに抗い、働く者の誇りと矜

持を持ち、人間としての最後の一線を守り続けた人々こそ、新日本窒素労働組合

を担った労働者たちでありました。ここに展示されている資料の数々は、もう一

つの「沈まぬ太陽」の存在を示す歴史の証言者たちにほかなりません。

これらの生の資料を直接眼にすることによって、今日の厳しい経済・雇用情勢

の下にあえぐ多くの労働者が、励まされ、勇気づけられることを願いまして、展

示会「水俣病と向き合った労働者たち」のオープニングに際してのあいさつに代

えさせていただきます。

2009年10月30日

法政大学大原社会問題研究所 所長    五十嵐 仁

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