時空でたどる新日窒労組
水俣病の原因企業であるチッソ株式会社の労働組合であった新日本窒素労働組合(以下、新日窒労組)は、会社と対立する形で企業内にありながら水俣病を告発し、水俣病患者の支援に乗り出した、日本の労働運動史上に特筆されるべき活動を行った組合です。この組合には、組合結成から解散までの組合文書、機関紙誌類、ビラなどがほとんど散逸することなく保存されていました。この資料が2005年4月に水俣学研究センターに寄贈され、整理作業を元組合員とともに行い、2009年から資料とデータベースを公開し、順次更新してきました。
6万点におよぶ写真資料は、目録化だけでなく画像もデータベース上で公開しています。しかし、時間の流れとともに水俣市の様相も激変し、どの土地で撮られたものかを辿ることが難しい状況になりつつあります。また、当時を知る元組合員も高齢となり、将来、労働運動を経験した証人が存在しない状況が訪れます。戦後日本を鑑みると、社会の転換期が訪れると労働運動史への関心が高まってきた歴史があり、後世に一次資料だけでは捉えることの出来ない現在から過去に時空をこえて新日窒労組の土地の記憶を辿っていただけるよう、地図上に写真資料をマッピングしました。新日窒労組の歴史の詳細は、水俣学研究センター所蔵資料データベース「映像でみる新日窒労組の歴史」をご覧下さい。
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出典
- 『熊本県労働運動史年表』熊本県労働組合総評議会、秀巧社、1981年8月。
- 『熊本県労働運動史』熊本県労働組合総評議会、1984年9月。
- 『創ったそして闘いぬいた:新日本窒素労働組合59年のあゆみ』新日本窒素労働組合写真集編集委員会、2006年1月。
- 『新日本窒素労働組合60年の軌跡』熊本学園大学水俣学研究センター、2009年10月。
- 山下善寛「安定賃金反対闘争を経て、水俣病と闘い、差別是正へ」『組合潰しと闘いぬいた労働者たち 化学産業複数組合連絡会議30年の軌跡』化学産業複数組合連絡会議、アットワークス、2010年2月。
- 花田昌宣、井上ゆかり、山本尚友『水俣病と向きあった労働者の軌跡』熊本日日新聞社、2013年6月。