水俣今昔

二子島からの風景

撮影日
1962年07月24日
2014年09月29日
住所
水俣市梅戸町1丁目
  • 昔
  • 今
  • 左側には二子島、中央には新日化タンクと矢筈山がみえる。1803年に梅戸が開かれたころは、数件の半農半漁の家があっただけという。岬の海岸から100メートルほど離れた二子島には松が生い繁り、漁師たちのよき網代であった。1960年頃、梅戸岬から二子島間の瀬戸は埋め立てられた。
  • 二子島から見た現在の矢筈山。新日化タンクの姿はもうない。二子島の突端には、豊漁と海の安全を祈る恵比寿様と保食神の碑が古くからまつられており、今も見ることができる。
出典
江戸時代
「葦北郡絵図」熊本学園大学附属図書館所蔵、江戸後期
明治時代
「幕末、明治 日本国勢地図」柏書房、熊本学園大学附属図書館所蔵、1983年