共に闘う(支援者、研究者)
原田正純が「工場労働者の差別、さらに農業・漁業による差別、そして、もっとも被害の大きかった弱者・患者が差別の終極的な対象にされてしまった。そして、水俣病30年のたたかいは、彼らの復権のたたかいであった。」(原田正純『水俣が映す世界』日本評論社、pp.25-26)というように、水俣においても患者さんは孤立し、一次訴訟以降の闘いは人間復権のためであったといえます。
その水俣病患者を支援するために、市民が立ち上がり、さらに労働組合も1968年に「恥宣言」を表明し、一次訴訟で患者側の証言台に立ち自らの会社を告発していきました。また全国からも多くの支援が寄せられました。一方、研究者の中からも現地に入り患者さんたちに寄り添いつつ調査研究活動を行う人たちも出てきました。
ここでは、「中立とは何か」を考えていただきたく、患者さんとともに原因企業チッソ、熊本県、国と闘ってきた支援者、研究者、工場労働者、弁護士の証言を公開しています。