水俣今昔
現在、水俣市内及び周辺地域には、水俣病の歴史を記す案内看板は百間排水口と親水護岸にしかありません。水俣湾はチッソが長年にわたり排出した汚染水のために埋め立てられ、地元においてさえ、その場に立っても水俣病事件の記憶を辿ることが難しくなっています。水俣病の教訓を活かすには、水俣病が発生した当時から現在にかけての土地の歴史(記憶)を知る必要があります。水俣の過去から現在にかけての変遷を追体験していただくために「水俣今昔」を制作しました。
水俣今昔では、熊本学園大学図書館に所蔵される江戸時代後期の絵地図と明治、昭和、現在の地図を重層的に閲覧することができ、地図上に各水俣市街地の昔と今の写真をマッピングし、各土地の歴史説明を加えることで「水俣の土地の記憶」を辿っていただけます。
写真は、6万点に及ぶ1960年代に撮影された新日窒労組旧蔵資料の写真資料のなかから水俣市街が写されていたものを選定し、ほぼ同じ地点で撮影した現在の水俣市街地が比較できるように工夫しています。